話しかけるのが億劫

お疲れ様です!りんぼうです。

風邪ひきました(・∀・)。この時期は三寒四温ですし、「ちょっと寒いな」と思ったら汗をかくのが嫌でもとにかくすぐに一枚着込む!それだけで風邪を防げますので皆さんも気を付けてくださいね。なおほぼ毎年季節の変わり目に体調を崩しています。

今日は「話しかけるのが億劫」なことについて。

 

気を使って話しかけたり、精一杯の勇気を振り絞って笑顔で話しかけたり、或いは酷いことを言われて落ち込んでる人を励まそうと思って話しかけたとき。

拒絶されたり、あろうことか呆れられたり、酷いときは見下されたり馬鹿にされたりしたことはありませんか?相手のためを思った行動が原因で、思いもしない形で自分が酷い目に合うんです。

割に合わない、やってられない、どうしてこんな悲しい思いをしなければならないんだろう。

そんな思いを何回かすると(1回で十分なのですが)、人に話しかけることそのものが億劫になってしまうんです。

思いやりが相手に届かないどころか曲解されたりします。いや、思いやりを持って勇気づけようとした結果が必ずしも報われない可能性があるということは理解しているつもりなのですが、かえって「馬鹿にしているのか」とでも言いたげな態度で拒絶されたりすると正直なところ「もうたくさんだ」という思いがとても強くなります。

誰かのために生きてこそ価値ある人生だ、というようなことをアインシュタインが言っていました。人間は依存の状態から自立し、自立から相互依存と呼ばれる状態に昇格していけると私のお気に入りのとある本に書いてあります。

誰かのために生きることは私にとっても理想ですし、とても尊いというか、そうありたいなという思いがあります。自分が誰かの役に立てたと思った時の充実した感覚を私も知っています。

しかし、私の選択の結果とはいえ私の周りの人間は「いかに立ち回るか、馬鹿にされないか」や「虐められる側にまわることの無いよう、いじめる側にまわる」という事ばかり考え、簡単に優しさや思いやりを捨てられる方ばかりのように感じます。ここ5年ほどずっとそんな人が大勢いる環境にいます。

今ではオフィスで人に話しかけることは少なくなりました。誰に話しかけてもろくな反応が返ってこないと思うと暗い気持ちになります。いっそ自分に気づかないでいてくれたら良いのにと思いながら仕事場にいるのは気が滅入るばかりです。仕事上絶対に話しかけなくてはならない時もありますが、そのたび胃に鉛でもあるかのような感覚に陥ります。

自分が何のために仕事をしているのか分からないまま、時間だけが経っています。分かっているのは「おそらく自分は何者になることも無く、人に馬鹿にされながら生き続ける」であろうことだけです。

 

今回はここまで。

ではでは。

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