教育

お疲れ様です!りんぼうです。

映画を見ているとき、海外の映画なら海外の、国内の古い映画なら当時の、それぞれの風俗が描写されているのが好きです。海外の方が十字路を斜めに横切って車に片手を上げて謝意を伝えるシーン、昭和中期くらいの映画で登場人物が吸ったたばこを片っ端から地面に捨ててるシーン、古いマンションの扉についた古風なのぞき穴を使うシーンなど。いずれ話す機会があれば。

今日は「教育」について。

 

主に会社での話になりますが、零細企業において「教育」という概念は死んでいます。人にものを教える重要性や、仕事を覚えることによって教えた当人にどのようなメリットがあるかといったことはまるで語られることがありません。むしろ「教えること」は忌避されているかのように感じます。教えて貰えると思っているような気配を漂わせただけで「あいつはできない奴だ」というレッテルが徐々にですが確実に日々貼られて行きます。嘘のようですが本当の話なんです嘘っぽい言い方に聞こえるかもしれませんが

教えてくれない人達も一概に責められるべきか分かりません。おそらく彼らの更に先達から教えてもらった経験が無いのでしょう。だから黙っていても教育を施してもらえると思っている人間を見ると腹が立つんだと思います。甘ったれたことを言うな。情けない奴だ。そんなところでしょうか。

つくづく救いの無い話です。このしょうもない負のスパイラルを最初に始めた人間はとうにこの世にいません。なのに彼らが残した負の遺産だけが今を生きる我々を苦しめ続けています。どこかで断ち切りたいものですが、最早そんな意志すら日々の理不尽が根こそぎにしてしまいます。帰ったころには主に心のダメージで布団に倒れ込むだけ。それ以外のことは何もできません。日中「帰ったら~しよう」と思っていたことがあるはずなのですが、思い出すこともかないません。

誰を恨んだら良いのかも分からないまま、不満とストレスだけは着実に積み重なっていきます。行き場の無い苛立ちが自分の中で膨れ上がっていくのですが、吐き出しどころも分かりません。分かっているのはこのままでは心か体のどちらか、或いは両方がおかしくなってしまうという事だけです。

それでも許し難い人間は少ないですがいます。彼らはどういう教育を受けてきたか分かりませんが人の痛みに寄り添うことなど到底できず、恐怖と屁理屈で人を支配することしか知りません。人として持っておきたい気遣いや思いやりなど知りもしないようです。これもはびこる負の習慣である「無教育」の賜物ではないでしょうか。親の顔が見てみたいとはこのことです。

仕事終わりなのに怒りのエネルギーが満ちてきたので今日はここまで(# ゚Д゚)

疲れてるのに怒らせるとはやはり労働は悪い文化ですね…!!(憤怒)

 

ではでは笑

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